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CHEMISTRY「衝突も」ブレイク裏側
 稀代の音楽プロデューサーであり「伝説のA&R」として知られ、48歳の若さでこの世を去った吉田敬さん。彼の近くでA&Rとしての姿を見ていた黒岩利之氏が、吉田さんの人物像や仕事術に迫るノンフィクション『「桜」の追憶 伝説のA&R 吉田敬・伝』を刊行した。同書では、TUBE、コブクロ、絢香、Superfly、CHEMISTRY、the brilliant greenら、日本を代表するJ-POPアーティストのミリオンヒットを連発。いちからその才能を見出し、数多くのアーティストをトップまで成長させた吉田さんについて、黒岩氏が見聞きしたさまざまなエピソードがまとめられている。同書から、CHEMISTRYのヒットにまつわるエピソードについてつづった内容を、一部抜粋して紹介する。

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■時流を読むセンスに長けたチームプレイで大ヒットへ

 「ものすごいパワーを感じましたね。やらなきゃいけないという。目の色が変わってた」

 吉田は「即断即決の人だった」と大谷(当時A&Rチーフ、現ソニー・ミュージックエンタテインメント取締役執行役員/ソニー・ミュージックソリューションズ代表取締役執行役員社長の大谷英彦氏)は振り返る。

 CHEMISTRYのデビューシングル『PIECES OF A DREAM』は、われわれの期待値を遥かに超えて、ロングヒット。そして、デビュータイミング以来2回目の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)への出演が決まる。

 「2回目の『Mステ』のタイミングで追加のTVスポットを打つべきだと敬さんに直訴した。何か言われるのかなと思ったが、すぐ実行に移してくれた。線引きの内容は細かくチェックされたが、それ以外は何も言われなかった」(大谷)

 2回目のMステは、テレビ担当の山本真理が、粘り強く動いて実現させたスーパーブッキングだった。

 「『PIECES OF A DREAM』がヒットし曲が浸透してきたタイミングで、CHEMISTRYのよりアーティスティックな魅力を伝えようと、2回目はカラオケでの歌唱ではなくアコースティック編成での新たなヴァージョンで、2人のハーモニーと生声の素晴らしさを伝える演出を考えてもらいました」(山本)

 『PIECES OF A DREAM』はロングヒットし、ミリオンを達成、レーベルスタッフはA&Rチーフを務める大谷英彦を筆頭とした新しい体制が確立され、2ndシングル『Point of No Return』(2001年6月)のリリースに臨む。新曲の発表会は完成したばかりの乃木坂ソニー・ミュージックスタジオにメディア関係者を招いて行われた。

 スタジオライブでのパフォーマンスにさらなる手応えを感じた吉田は、15秒のテレビスポットでの楽曲の使いどころに強いこだわりを示した。〈夏草が~〉の歌詞で始まる冒頭部分と、〈きっと永遠なんて言葉は~〉の大サビ部分の使いどころを何度も繰り返し聴いて検証し、冒頭部分をチョイスするように指示した姿を思い出す。

 CHEMISTRYの快進撃は続いたが、一方、彼らに寄り添って支えるマネージメントスタッフがなかなか安定せず、彼らから見えるコアスタッフの風景は変化し続けた。

 「チームのメンバーの変化はいい部分もあればリセットされすぎてしまうところもある。一から関係を構築していくことでいい方向に転んだパターンも、転ばなかったパターンもあったのかなと。どれも正解だとは思うんですけど」(川畑)

 「僕は担当してくださる人に対してやっぱり愛着というか、愛情みたいなものが毎回あった。だから、担当を外れると聞くのは結構寂しかったです」(堂珍)

 「最初はマネージメントスタッフとレーベルスタッフの違いが分からなかった。A&Rもマネージャーもレコーディングに立ち会ってくれて、話す時間も多かった。同じ時間を過ごすということでいえば一緒だと思っていた」(川畑)

 「A&Rとマネージャーの違いは、アーティストへの密着度なんだと思いますね。マネージメントは一番近い存在だし、レーベルはCDを売るための人だと捉えていました」(堂珍)

 そんな2人は、プロモーション稼働を通してレーベルスタッフと親交を深めていく。特に地方キャンペーンでの印象が強く残っているという。

 「地方キャンペーンで、稼働の際に同行してくれるレーベルのプロモーターの方々の印象が強く残っていて。デフスターは特に個性的な人たちが多かったので、みなさんキャラクターで採用されたんじゃないかと思ってしまうほどでした」(堂珍)

 彼らが言うように、吉田の方針で、デフスターのエリアプロモーターたちは個性豊かだったし、とにかく若かった。近い世代で一緒に時を過ごしながら親交を深めていったのだろうと思う。当時印象的だったのは、名古屋の現地採用の若手プロモーターのアイデアでデパートの催事場に「ケミストリー神社」を建立し、「ケミス鳥居(とりい)」を作ったことだ。川畑と堂珍が面白がって鳥居の前で撮影した写真がスポーツ紙のアタマ(芸能欄で一番大きく掲載)になり、全国ネットのテレビの情報番組で取り上げられたこともあった。

 吉田は常にエリア会議に出席し、自ら若手を鼓舞した。吉田自身も福岡のエリアプロモーターを経験し、そこで自由な発想で宣伝のアイデアを具体化していったことが、次のステップに繋がっていった。かつての吉田のように、若いレーベルスタッフたちがCHEMISTRYというアーティストとともに、成功体験を重ねていく風景がデフスターの推進力になっていったのだと思う。

 サードシングル『You Go Your Way』(2001年10月)、ファーストアルバム『The Way We Are』(2001年11月)がリリースされアルバムはトリプルミリオンを達成、年末には『NHK紅白歌合戦』に初出場。怒涛の日々は続いたが、この頃にはレーベルスタッフに続き、マネージメントスタッフも定着する。コアスタッフが安定し、CHEMISTRYの中にも「今後自分たちはこうしていきたい」というような思いが募っていったのだろう。

 そんなある日、CHEMISTRYのほうから、スタッフを招集し、今後自分たちがどうしていきたいかを伝える会議が催されたという。

 「やっぱり何か変わろうというか、成長しようとしていたのか……お互い熱い気持ちをもっていたので、とにかく納得いくまでやり合いましたね」(川畑)

 「熱い気持ちを持っているという意味ではいいんですけど、その分衝突してしまうという紙一重な部分がありました」(堂珍)

 彼らがスタッフを良い兄貴分として何でも言い合える環境はプロジェクトの風通しを良くしたのだと思う。セカンドアルバム『Second to None』(2003年1月)に向けて、CHEMISTRYのプロジェクトはさらに活性化していった。マネージメントチームの安定は、彼らが、ライブアーティストとして土台を築く流れとシンクロした。ライブハウスツアーからスタートし、ワンステップずつ、しっかりホールコンサートを重ねていく。舞台監督を務めた本間律子によるライブ演出も、より彼らのアーティスト性を際立たせていく。

 そんな中、リリースされた5枚目のシングル『FLOATIN'』(2002年7月)の表題曲は、シングル初のアップテンポナンバー。ミドルテンポからバラードのイメージが強いCHEMISTRYが楽曲の幅をみせる絶好の機会だった。僕らレーベルサイドは、この楽曲をあえてノンタイアップで勝負することにこだわった。どこまでアーティストに地力がついたか、そして僕らのマンパワーでどこまでこの楽曲をメディア露出することができるか、特にラジオのオンエア回数にこだわってプロモーションした。結果、4作目のオリコンシングルチャート1位を獲得。今では、彼らのライブを盛り上げるのに欠かせない定番曲の一つとなっている。

■著者・黒岩利之プロフィール
ソニーミュージック、ワーナーミュージック・ジャパンの宣伝畑を歩み、老舗音楽事務所スマイルカンパニーの代表を務めた後、独立。2022年に合同会社デフムーンを設立。宣伝コンサルタント業を営みながら、新人アーティストの発掘・プロデュースを行う。『「桜」の追憶』では、音楽業界で“伝説のA&R”と称された音楽プロデューサーである故・吉田敬さんの人物像や仕事術についてつづった。

■吉田敬プロフィール
1962年5月13日生まれ。85年、慶応義塾大学卒業後CBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社。販促・宣伝畑を歩み、タイアップ担当として数々のドラマ主題歌や番組のテーマソングを獲得し、頭角を現す。97年に「Tプロジェクト」を立ち上げTUBEのミリオンヒットに貢献。その後、the brilliant greenなどをトップアーティストに育て上げ、2000年38歳で分社化して誕生したデフスターレコーズの代表取締役に就任、CHEMISTRYをブレイクさせた後、03年に外資系レコード会社ワーナーミュージック・ジャパンに電撃移籍し、代表取締役社長の職に就いた。コブクロ、絢香、Superflyを次々とブレイクさせ、業績を飛躍的に伸長させる。自らが先頭にたってヒットプロジェクトを牽引する伝説のA&Rマンというのが、音楽業界内に認知されている彼のプロフィールだ。そして2010年10月7日、48歳という若さでこの世を去った。

(提供:オリコン)
CHEMISTRY(左から)堂珍嘉邦、川畑要 (C)ORICON NewS inc.
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