歌手の松崎しげる(74)が12日、都内で行われた『東京国際音楽祭 ~Tokyo International Music Festival “戦後、歌謡曲はジャズだった”2』の制作発表記者会見に出席した。同会見はもともと6日に開催予定だったが、松崎の体調不良によって延期に。松崎はこの日、ジョークも交えながら回復を報告した。
【全身ショット】赤ジャケットが映える!ビシッとスーツ姿で登場した松崎しげる
松崎は「何日か前から体がふらつき、目の前が真っ暗になったんです。これはとてもじゃないが会見には出られないな…と思った」と当時の状況を報告。「体調が悪くなると、普段よりも顔が黒くなるんですね」とジョークも交えながら、「今はもう大丈夫です」と快気をアピールした。
2017年には前立腺肥大症なども患ったが、「前立腺をやったり、耳や目も悪くなったり…さまざまな変調がありますよ」と自身の“変化”を伝えながら「でも、マイクを持つと誰よりも大きく、ハキハキと歌える。ですので、ステージに立っているときは74歳に見えないと思いますよ(笑)」と胸を張る。
そして「ステージに立ったらベテランも新人もない。僕自身、若いミュージシャンの演奏や歌を聞いて、ファンになるほど感動することも多いんでです。そういうエモーションをくれる音楽は、僕の唯一の栄養源ですね」とにっこり。
『東京国際音楽祭』では、音楽の振興と文化を次世代に継承、普及させるとともに、子どもたちや青少年にさまざまなジャンルの音楽を通じて、友好・親善を深めることを目的とし、東京から世界へ羽ばたく音楽人を応援するプログラムを展開する。
今回のプログラムでは、1927年に日本で初めて楽団名にジャズの文言を入れたバンド・横浜ハーモニカジャズバンドを結成した奥田宗弘さん、名曲「東京ブギウギ」などを手がけた作曲家・服部良一さんらの功績を振り返り、“和製ポップス”に多大な影響を与えた歌謡曲、ジャズなどにフォーカスする。
そんな同イベントに向け、「先輩たちの背中はやっぱり大きかった。僕の背中がどうかはわからないけど、残された身としてはできる限りどんどん発信していきたいと思う」と言葉に力を込め、「発信するには元気がなきゃいけない。老体にムチ打ってがんばりたいと思います」と笑顔を見せた。
(提供:オリコン) |
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『東京国際音楽祭 ~Tokyo International Music Festival “戦後、歌謡曲はジャズだった”2』制作発表記者会見に出席した(左から)スインギー奥田、マリーン、松崎しげる、Meri (C)ORICON NewS inc. |
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