『サザンオールスターズデビュー40周年』
UP DATE 20180625

 本日6月25日はサザンオールスターズが1978年にデビューシングル「勝手にシンドバッド」を発表した日でもあり、ラジオ、テレビ、WEB媒体など、それぞれの切り口で40周年を祝う特集が組まれていますが、偶然が引き寄せたビッグウェーブに乗らない手はないということで、今週は40周年に感謝しながらサザンオールスターズをライナーノーツしていきたいと思います。
 敢えてパブリックな「祝福」でなくパーソナルな「感謝」と申し上げたのは、サザンの楽曲が人生の大切な場面でBGMとして鳴っていたからです。例えば、桑田佳祐さんが学生時代の思い出を綴った「Ya Ya (あの時代を忘れない)」は、母の葬儀を一通り終え、その前年に母と訪れ、結果的に最後の酒席となった居酒屋へ再訪した時、ひとりの席でなぜか頭の中でループしていた楽曲でした。酔いが進んだところで「忘られぬ日々」を「忘られぬ人」に改変しながら、お猪口を口に運んだのでいたのですが、それは私にとって誰にも侵すことのできない−−忘られぬ時でもありました。さらにその1年後の夏、30周年を迎えたサザンのコンサートのレポートという貴重な機会をいただいた際、コンサートの最後に「Ya Ya (あの時代を忘れない)」が奏でられた時に「この歌は、桑田さんひとりにとってのノスタルジーでなく、みんなにとって記憶の断層撮影装置なんだ」という答え合わせができたような気がし、小糠雨と共に一筋の涙が頬を伝ったのは今でもハッキリと思い返すことができます。そして私と同じく日本人の多くに人にとってサザンの楽曲は、記憶を掘り起こし、揺さぶり、大切な場所へしまい込む歌として40年間愛されてきたのではないでしょうか。
 そこで40年間愛された理由を探そうと、最近またサザンを掘り下げながら聴いていたところ、ふと気づいたのがサザンの世界観がローカルであり続けてきたことでした。まず、桑田さんが操る言葉自体、日本語にこだわり続けてきたことが挙げられます。アルバム『世に万葉の花が咲くなり』の制作の過程で、桑田さんは『万葉集』を読み返し、日本語独特の情緒や情報量の多さに興味をおぼえながら「この言葉を我々はなくしていいのだろうか」と感じていたといいます。逆に当時若者の間で流行っていた「超」や「彼氏」といった音圧とイントネーション重視の言葉に対しては「頭の中でビジュアルがありすぎて、そこに向けてのセンテンス作りや一風変わったイントネーション作りが上手くなり過ぎた」としながら、「言葉から波及する、もしくは寄りかかるものが希薄なのよ」と、作詞作りが年々難しくなってきていることを嘆いていました。つまり手渡しされる言葉の、手と手の間の“手間”が省かれてしまったのが、ビジュアルありきの現代の日本語であり、映えることありきのビジュアルに添えられる「エモい」とか「バズる」といったフレーズも、桑田さんの言葉を借りるところの「粗野に具体的なビジュアルを求めてくる」ことを突き詰めた先に生まれた言葉なのかもしれません。
 若干、日本語論へ話が逸れてしまいましたが、行間でも説明のつく言葉で握手するまでのプロセスを桑田さんは大切にしており、その分手間が十分にかかった言葉の数々は、想像力を掻き立てるには十分な物語をはらんでいます。その桑田流日本語操作術の源泉のひとつが、昭和40年代、50年代の歌謡曲に求められます。現に、小室哲哉さんとの対談で桑田さんは歌詞の創作法として「歌謡曲の歌手が歌った流行歌みたいなね、古い言葉だけどだけど、そのフレーズみたいなものを思い出したりね」とお話しされていました。そんな歌謡曲発祥のフレーズにもローカルなこだわりが盛り込まれており、それは名前を持った場所—簡単に言えば歌詞の中に多く登場する地名として読み取ることが可能です。
 東京、横浜、湘南など、桑田さんの歌詞の中には具体的な場所に対する言及が多く見られますが、逆にJポップが失ったものが具体的な場所の感覚です。例えそれが地名であっても、映画のセットにも似た架空の部分がJポップの描き出す風景には含まれているわけですが、「茅ヶ崎の海岸の黒い砂とひしゃげた松と漁船」を原風景に持つ桑田さんが歌詞に盛り込む地名はノンフィクションとして鼓膜の印画紙に焼き付けられるのです。
 雑誌の『pen』で昨年特集された「1冊まるごと桑田佳祐。」の中の「血肉となった、秘蔵レコード22選」で桑田さんが持ち寄ったレコードの中には、ビートルズ、エリック・クラプトン、ロバータ・フラックなどと共に内山田洋とクール・ファイブやいしだあゆみさんのベストアルバムも名を連ねていました。そこには「長崎は今日も雨だった」や「ブルー・ライト・ヨコハマ」といった地名ありきの歌謡曲へのリスペクトが盛り込まれているとも考えられるのですが、リスナーが長崎や横浜を知らずとも「こんな場所だよね」と妄想できたように、桑田さんが描き地名もまた、地理、歴史、名前の由来を含む−−言霊と場所が表裏一体となった圧倒的な磁力を充満させており、実際、海なし県の群馬で育った学生時代の私が妄想していた湘南と、実際に訪れた湘南との間に誤差はあったのですが、むしろリアルな景色の方が私にとって映画のセットのような感覚であり、私にとっての湘南の正解がサザンの歌の中にあり続けているのと同じく、皆さんにとっての横浜や湘南もサザンの歌の中に存在しているのではないでしょうか。
 いつもより長いライナーノーツになってしまいましたが、30周年ライブの「Ya Ya (あの時代を忘れない)」が奏で終わった時の取材メモと共に今週のライナーノーツはページを閉じたいと思います。
 「宴の終わりに不思議と悲しさは感じられなかった。その時、空を舞っていた、地面に届く前に蒸発しそうなフランス語で“夏の雪”にも例えられる小糠雨の如く、我々はサザンの“伝説”でなく額の上で溶けてしまう“思い出”を手に入れたのだから」

東京から横浜、湘南を経由しブラジルへ飛びながら思い出へと至る旅の気分で聴いてください。
サザンオールスターズで
「愛と欲望の日々」
「LOVE AFFAIR〜秘密のデート〜」
「希望の轍」
「SAUDADE〜真冬の蜃気楼〜」
「Ya Ya (あの時代を忘れない)」です。