『尾崎豊没後25年』
UP DATE 20170424

 今週は、明日の4月25日で没後25年を迎える尾崎豊さんをライナーノーツしていきます。
 先日宝島社から発売された総特集本『尾崎豊 Forget Me Not』の取材と執筆にかかわったことがきっかけで、今回の特集に至ったのですが、生前、尾崎さんがよく通っていたカラオケスナックのマスターでもあり元プロレスラーのキラーカンさんの取材などを通して垣間見えた尾崎さんの素顔は、“10代の代弁者”や“若者のカリスマ”といったイメージとは異なる、優しくて気さくな好青年だったということでした。
 尾崎さんを代弁者やカリスマに仕立てたのは、リアルタイムで尾崎さんに心酔していた我々リスナーだったわけですが、本の筆者アンケートにも答えたように、尾崎さんが私のような普通の10代の物言えぬサイレントマジョリティに声を与えてくれたのは紛れもない事実でした。
 尾崎さんが10代を駆け抜けた1980年代、校内暴力、登校拒否、いじめなど、学校は荒れに荒れていました。『金八先生』をはじめとするメディアの功罪なのか、当時、声を持っていたのは不良側の学生で、尾崎さんの「15の夜」や「卒業」の歌詞も、不良側の声として取り上げられることが多々見られました。しかし声を持つ不良は、学校の中であくまでもノイジーマイノリティで、むしろサイレントマジョリティである普通の学生は、荒れた学校という闇の中で堂々巡りをしながら声を失っていきました。そんなサイレントマジョリティの荒涼とした心に声を与えたのが尾崎豊さんだったのです。その意味で、尾崎さんの音楽は、サリンジャーによる永遠の青春小説『キャッチー・イン・ザ・ライ』に匹敵する10代のバイブルであり、不良側から切り取れば大人や社会というシステムに反抗する10代のイノセンスと、普通側から切り取れば自意識の中の暗闇巡りと読むことが可能で、現代では普通側の読み方がリアルタイムで知らない世代を虜にしているようです。
 さて、ここからは本で書き切れなかった尾崎さんの音楽的なルーツと影響のお話で、まずは尾崎さんが曲作りを始めるきっかけとなったジャクソン・ブラウンやブルース・スプリングスティーンとの共通性を掘り下げていきたいと思います。尾崎さんが好んで聴いていたブラウンの「孤独なランナー」やスプリングスティーンの「明日なき暴走」を、本の執筆時に改めて聴き直してみたところ、尾崎さんの歌詞の描き方が——それまでの日本にはないブラウンやスプリングスティーンに通じる饒舌な映像性や物語性を備えていることが見えてきました。その映画並の情報量を支えているのが、心象風景も含めて暗闇に向かって“走る”という移動の感覚なのですが、ブラウンやスプリングスティーンの移動が道を中心にしているのに対し、尾崎さんの移動は街が中心になっているという違いがあります。そこが曲タイトルにもある“街の風景”に対して感受性を強くしていた、東京郊外育ちの尾崎さんならではの感性なのかもしれませんが、街を舞台に、過剰なまでの言葉と共に移動する感覚は、先ほども比較対象の引き合いに出しました『キャッチー・イン・ザ・ライ』の主人公、ホールデン少年にも重なります。
 残酷なのはフィクションとノンフィクションの違いで、ホールデン少年のその後が示されることなく『キャッチー・イン・ザ・ライ』が物語を閉じたのに対し、尾崎さんの物語は死をもって閉じられてしまいました。しかし、今回取材した尾崎さんが歌詞で描いた風景やキラーカンさんの記憶など、25年経った今も尾崎さんの物語は朽ちることなく、現在進行形でどこかで誰かの思いの中で音楽を紡ぎ続けています。こじつけかもしれませんが、Mr. Childrenの「ロザリータ」という楽曲の中に、尾崎さんの「ロザーナ」が重なり、またその向こう側のスプリングスティーンの同名楽曲が重なってしまうあたりを考えると、「尾崎さんが生きていたらどんな曲を奏でているのだろう」という永遠の問いに対する答えの一端が見えてくるような気がするのです。

今回は尾崎さんの原点と現在地を織りまぜながらお送りします
尾崎豊さんで「十七歳の地図」
ブルース・スプリングスティーンで「明日なき暴走」
Mr. Childrenで「ロザリータ」
尾崎豊さんで「ロザーナ」
そして私セレクトによる尾崎さんのベスト的瞬間のひとつで東京ドームでのライブより「僕が僕であるために」です。