Part1 『ポール・マッカートニー』
Part2 『子供の誕生にちなんだ歌』
UP DATE 20130730

Part1 『ポール・マッカートニー』

 今週の1冊目は、11月に11年ぶりの来日を果たすポール・マッカートニーをライナーノーツしていきます。
 5月からスタートし現在は北米をまわっている「アウト・ゼア・ツアー」の一環で来日公演を行うポールは、ツアーの途中で71才を迎えました。そんな年齢を感じさせず1回のライヴで数十曲をプレイするポールの健在ぶりは、1音楽ファンとして嬉しい限りなのですが、ビートルズが崩壊の道を歩み始めた時に「またツアーに出ないか」と提案するなど、ポール自身、常に何かをやっていないと生きていけない性分のようです。そこには意外にも、東洋的な無常の考えが大きく関わっていて、40年以上前の話になりますが、ビートルズが解散してまだ間もない1971年の『LIFE』誌のインタビューの中でポールは、「人生では、どんなものもとどまってはいない。移ろうことが美しいんだ。何かが去って、次のものがやってくる。その儚さを受け入れることによって、ものに一種の美しさが加わる」と話していました。この考えがインドに傾倒していたジョージ・ハリスンの口から語られるのは納得がいくのですが、よく考えてみると、30才を待たずして、母と大切なバンドを失ったポールだからこその説得力がそこには感じられます。
 さらにその後、ふたりのバンド・メイトと、公私にわたって活動し続けてきたリンダ・マッカートニーを失ったポールにとって、無常は、より大きく自らの行動原理に関わっているようにも思え、今回も「会えるうちにファンに会っておきたい」という気持ちが10年ぶりのツアーへと駆り立てたのではないでしょうか。
 なぜそこまでポールがファンのことを思うのかというと、ソロ・ツアーでは必ず歌われる楽曲「ブラックバード」から見えるソングライティングのテーマの中にヒントが存在しています。“ブラックバード”とは鳥でなく、黒人女性のことを指し、当時の公民権運動を支持していたポールは、「君の信念が貫けるように、僕に応援させてくれ。希望はあるよ」というメーッセージ込めたと言います。また特定の人物像を描写するのでなく、誰にでも当てはまるキャラクターを設定するのがポールの作詞術でもあり、例えば、「レット・イット・ビー」の「マザー・メアリー」は、聖母マリアと自身の母の名前というダブルミーニングが与えられています。この誰にでも当てはまるストーリーにポールは意識的で、「誰かの力になれれば」という思いから、「悲しい歌を聴いて、元気を出しほしい」と願う音楽家としてのテーマは今も変わっていないようです。
 それはポール自身が音楽に励まされながら生きてきたことの裏返しでもあり、無意識に亡き母のことを書いた「イエスタデイ」や、苦悩のピークに枕元で母が「大丈夫だよ」とささやいた夢の物語「レット・イット・ビー」など、ポールは音楽の中に失われた魂を蘇らせることで喪失感を克服してきました。
 今回のツアーでは、ジョージ・ハリスンの「サムシング」もセットリストの中に入っていると言います。まだジョージが生きていた頃のインタビューで、ポールはジョージと一緒に曲を書く可能性について「僕からその話をすることはないけど、ジョージから『一緒にやろう』という話があれば考えるよ」と話していました。かつて『ホワイト・アルバム』の中で「サムシング」や「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」などの名曲を生み出し、ソングライターとして著しい成長を見せていたジョージから、「もっと僕の曲を採用して欲しい」という申し出がありながらも、却下してしまったポール。だからソロになっても自分から頭を下げてコラボすることはなかったのですが、今「サムシング」を歌うことで、ポールはファンの望みでもあったジョージとのコラボを叶えながら、喪失に彩られた彼自身の生きてきた時間を静かに弔っているかもしれません。

お送りしますのは
ポール・マッカートニー&ウイングスで「ジュニアズ・ファーム」、「バンド・オン・ザ・ラン」
ポール・マッカートニーで「アナザー・デイ」
ザ・ビートルズで「サムシング」、「ブラックバード」です。


Part2 『子供の誕生にちなんだ歌』

 イギリスのウィリアム王子、キャサリン妃夫妻の第一子誕生で、世界中が祝福ムード一色ですが、結婚式や誕生日と同じように、お祝いには歌がつきものということで、今週の2冊目は子供の誕生にちなんだ歌をライナーノーツしていきます。
 まずはお祝いの歌ということで、aikoさんの「瞳」を取り上げたいと思います。親友に初めてお子さんが生まれようとする直前、破水の知らせを知ったaikoさんが、「今の自分が彼女にできること」を考えて書いた曲が「瞳」でした。楽曲の誕生がきわめてパーソナルなものだったので、当初は発表の予定がなかったのですが、様々な偶然を経て発表へと至り、現在では出産だけでなく結婚式のお祝いに送られることが多いと言います。母の視点で語られる言葉は、結婚式の決まり文句ではありませんが、これから訪れる喜怒哀楽のどんな場面でも、私を含めた大切な人が必ずそばにいると、新しい命に優しく話しかけます。
 少し横道にそれますが、先ほど紹介したポール・マッカートニーの「レット・イット・ビー」の誕生には、バンドのどうにもならない状況を前にしたポールがある晩見た、亡きの母の夢が元になったといいます。バンド崩壊のストレスでいっぱいいっぱいだったポールに、夢の中の母は「心配しないで大丈夫。すべてうまくいくから」と優しくアドバイスします。こうして「なるようになる」という意味の「レット・イット・ビー」というフレーズが生まれたわけですが、ポールのエピソードが示すのは、あの世に召されても母はいつも子供のそばにいるということです。
 そんな母になる心の準備を綴ったのが、YUKIさんの「砂漠の咲いた花」です。妊娠中、お腹の中の子供を思いながら書かれた歌詞は、「私の中の小さな太陽」とも「まだ見ぬ君」とも例えられる、これから生まれてくる命を思い遣りながら、「すべての日々に愛されるように」と願います。今や写真や動画で様々な思い出が保存できる時代ですが、こうして言葉とメロディとして残されると、写真や動画で伝え切れない思いの深さを知ることでき、先ほどのポールの逸話ではありませんが、言葉が記憶される限り、「母はいつもそばにいる」と実感できるはずです。
 一方、生まれてきた子供の命を絶妙な例えで表現したのが、BLANKEY JET CITYの「赤いタンバリン」です。タイトルの「赤いタンバリン」は、浅井健一さんが生まれたばかりの娘さんを抱き上げた時に感じた、心臓とその鼓動の例えだといいます。そのエピソードを知ると、「いくらか未来が好きになる」というフレーズや「人は愛し合うために生きる」というフレーズも、娘さんの心音から浅井さんが聴きとった希望と理解することが可能になります。また歌詞では、「俺の欠落した感性に響くぜ」とも歌われているのですが、大人の日常ではなかなか聴き取ることのできない、生命の根源に響くリズムを通して、浅井さん純粋で美しい音楽の世界を知ったのかもしれません。
 海外でも自分の子供の誕生を祝う楽曲は多く存在します。例えば、デヴィッド・ボウイの「クークス」は、今では映画監督として活躍している息子のダンカン・ジョーンズが生まれた時に書かれた曲で、冒頭では「僕たち夫婦の愛情物語の中にいる限り君は大丈夫」と歌われています。残念ながら、ボウイと最初の奥さん、アンジェラはダンカンが9才の時に別れてしまいますが、親権を持つボウイは今でも息子の映画のワールド・プレミアに顔を出すなど、子煩悩なところを見せています。
 子煩悩ということでは、スティーヴィ・ワンダーも相当なもので、代表曲のひとつ「イズント・シー・ラヴリー?」では、生まれて1分も経たない娘さんのことを「可愛いだろう」と何度も繰り返しながら、神からの最高の贈り物に感謝を捧げています。日本人が見ると気恥ずかしささえ感じるのですが、現在も自身のバンドのバックシンガーに置くなど、35年以上経った今でもステーヴィ・ワンダーの幸福指数は娘さんの誕生の瞬間と変わっていないようです。

お送りしますのは、
aikoさんで「瞳」
YUKIさんで「砂漠に咲いた花」
BLABKEY JET CITYで「赤いタンバリン」
デヴィッド・ボウイで「クークス」
スティーヴィ・ワンダーで「イズント・シー・ラヴリー?」です。