ザスパチャンネルコラム#124 植木さんたちが作ってくれたザスパをみんなで未来につなげたい

ザスパの創始者のひとりで、ザスパで監督、GM、代表取締役として活躍、FMぐんまのザスパ中継の解説などでもご尽力いただいた植木繁晴さんが今月11日にご逝去されました。69歳でした。



植木さんはフジタ工業、現在の湘南ベルマーレで選手として活躍後、指導者の道に進み、ベルマーレでは元日本代表として活躍した中田英寿さんを見出し、海外へ送り出したことでも知られます。

そんな植木さんが、2002年に仲間とともに「ザスパ草津」を立ち上げ、監督、GM、代表取締役として力を尽くし、ザスパをJリーグ参入へと導いてくれました。

2014年を持ってザスパからは一線を退きましたが、いつもザスパのことを気にかけ、見守ってくれていました。

私も、ザスパ誕生の翌年、2003年の関東リーグ時代からザスパに関わり、植木さんにザスパのこと、サッカーのことはもちろん、実況アナウンサーとして、人として、大切なことをたくさんご指導いただきました。昨年末から体調を崩されていたということは伺っていましたが、今回こうしたことになってとても悲しいです。



一方で、ザスパを応援してくれる皆さんそれぞれにとって「植木さん」という存在は様々なんだなぁと感じる機会にもなりました。

私の様に、ザスパ発足当時から機会をいただいた者にとっては、とても特別な存在ですが、新しいサポーターの皆さんにとっては、「ザスパを作った人」という認識はあるけれど、正直、ちょっと遠い存在と感じる方もいらっしゃるようです。これはこれで仕方がないことだと感じます。サポーターの皆さん、応援してくれる皆さんそれぞれのザスパがあることですから。

先日の山口戦でも、「植木さんのために勝利を!」と強く思ってくれた方もいて、本当にうれしいなと思いました。当時を知らない方でも、リスペクトの思いを持ってくれている方もたくさんいると思います。だけど、すべてを植木さんのために!と思わなくてもと思っています。個人的にも、歴史を大切にしたいと思っています。だけど、今を戦ってくれているのは、今シーズン、ザスパに集ってくれた選手、監督、スタッフです。そんな彼らのために思いと力を注いで、ともに戦ってほしいと思います。

他方、植木繁晴という人がいなければ、植木さんとともに行動した人たちがいなければ、「ザスパ」というクラブが生まれず、今、こうしてJの舞台にいられなかったという事は知ってほしいと思います。だから、植木さんをはじめ、ザスパを作り、守ってきた皆さんのバトンを受け継ぎ、ザスパをより強く、大きなものにしてほしいと思います。

最近、ザスパを舞台に、様々な意見の対立があるように感じます。一言で片づけられるものではないですが、その中のひとつには、新旧の考えの違いがあると感じています。その時々のザスパはありますが、過去のザスパも、今のザスパも、未来のザスパも、ひとつにつながっています。私もすべてをわかっているわけでもありません。当事者の方々からすれば、相容れないものもあると思いますが、それでも、ザスパを良くしたい、強くしたいという思いは同じはずです。その共通点をきっかけに関わるみんなもひとつになって進んでいけないかと願っています。その部分では、現クラブに対しても、過去を大切に、未来を意識しながら、しっかりとリーダーシップを発揮してほしい、まとめ役になってほしいと強く思います。

2024シーズンは、非常に厳しく、苦しい戦いになっています。苦しいからこそ、悲しいからこそ、みんなで力を合わせて進みたいと思います。植木さんたちが、ザスパを作り上げたあの頃もそうしてJリーグの舞台にたどり着いたんですから。私も、自分の立場、できることを考え、植木さんが作ってくれたザスパを未来につなぐ、大きくする役割を果たしたいと思います。(笹川裕紹)